21年ぶりの戴冠
【マテル フェラーリF1-2000 M.シューマッハ 2000】
96年にフェラーリ移籍後、ヒル、ヴィルヌーブ、ハッキネンという名だたるライバルと戦ってきたシューマッハがついに3度目のタイトルを獲得。79年のシェクター以来となる待望の王座をフェラーリにもたらし、シューマッハは一躍ヒーローとなりました。
全17戦で争われた2000年シーズン。開幕を3連勝でスタートダッシュを決めたシューマッハですが、中盤に4度のリタイアを期す間にハッキネンがポイントを積み上げ、3年連続でこの二人によるタイトル争いとなりました。
追い上げられたシューマッハですが、終盤戦では4連勝を記録し、第16戦日本GPの優勝によって念願のフェラーリでの初タイトルを獲得します。コンストラクターズも前年に続いて連覇しダブルタイトルを獲得するなど、フェラーリの完全復活を印象付ける1年となりました。
前年イギリスGPでシューマッハがけがを負って離脱してから、シーズン半ばに既に開発を始められてきたF1-2000。シューマッハのシーズン9勝に加えてこの年からセカンドシートを射止めたバリチェロも初優勝を挙げるなど、10勝を記録して2位マクラーレンを寄せ付けませんでした。
なお、ここからフェラーリ・シューマッハの黄金期が始まりますがミニカー界としては暗黒期を迎え、記録的なチャンピオンマシンが続々登場するのですがドライバーフィグ付きモデルは出来の良くないマテル製のみの独占販売となってしまいます。
ベネトンでの2度のタイトルに加え、チャンピオン獲得数をかつてのライバル、セナと並ぶ「3」に伸ばしたシューマッハ。そのセナの優勝回数41回に並んだイタリアGPではレース後の会見で感極まって涙するなど、シューマッハにとってセナの存在がどれだけ大きいものであったのか、世代交代を宿命づけられた重さを垣間見ることができました。
以降は個人の記録のためというよりも、フェラーリやひいてはF1の象徴として、続々参戦する巨大メーカーを相手に戦いを繰り広げていくこととなります。
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