ファンジオ最初の戴冠
【ミニチャンプス アルファロメオ159 J.M.ファンジオ 1951】
レジェンドドライバー、ファンジオの最初のチャンピオンマシン。前年はエースのファリーナに敗れましたが、2年目のシーズンは彼を破り王座を獲得します。
1951年シーズンは主要なレギュレーションの変更はなく、前年同様全8戦のうち4戦の有効ポイントで争われました。初年度から全戦で勝利を挙げてきたアルファロメオですが、この年フェラーリがイギリスGPで勝利を挙げ、その連勝記録を止めます。アルファの支援で立ち上がったフェラーリチーム、代表のエンツォが「母を殺してしまった」と発言したエピソードは有名ですね。
シーズンも前年ほどアルファの支配的なものではなく、後半はゴンザレス・アスカリらフェラーリ勢が連勝を挙げるなど苦しい展開に。最終戦の勝利でファンジオはタイトルを獲得できましたが、後の王者となるBRMらイギリス勢の参戦など、2年目にしてF1の戦力図は大きな変化を迎えていたのでした。
前年158の改良型となった159はパワー強化に焦点が当てられ、この結果最高速は伸びたものの燃費の悪さがネックとなりました。対してライバルのフェラーリ・375F1は自然吸気による燃費の良さを武器としており、余計なピット回数を強いられるアルファは不利を強いられます。
アルファロメオは資金難から1952年シーズンへの参戦を断念しており、この159は現在までアルファロメオ最後のチャンピオン獲得マシンです。サーキットを舞台にした戦いにおいて、パワーと直線速度は必ずしも絶対の武器となるわけではなく、パワー&クイックというF1の哲学ともいえるものがこの年には既に垣間見えていたのではないでしょうか。
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