新たな役目

【スパーク ザウバーC29 N.ハイドフェルド 日本GP 2010】
前年限りでシートを失ったハイドフェルドですが、ザウバーに戻ってチームの「評価者」として再びシートを獲得しました。

BMWザウバーのシートを失い浪人となったハイドフェルド。どの交渉もまとまらず、頼みの綱だったメルセデスはシューマッハの復帰という予想外の展開でシートを得られませんでした。
前年までのワークスチームの功労者はピレリタイヤのテストドライバーとして2010年を駆けることになります。ピレリにとっては頼もしかったでしょうが、一応前年2位を獲得した人の扱いとしてはあまりにも不憫でしたね……。

その後シーズンラスト5戦はデラロサの後任として古巣ザウバーに復帰。小林可夢偉とデラロサでドライバー・マシンの評価が定まらないチームの「ものさし」としての役割を求められました。
この代役期間中に2度の入賞を果たしたことで、翌年のオフシーズン中に事故でクビサを失ったロータスルノーのシートを得ることに成功します。これでちょっとだけ延命できたけど、ね……。

小林可夢偉旋風が吹き荒れた2010年日本GP仕様のこのモデル。可夢偉選手の活躍がなければハイドフェルドもついでにモデル化されることはなかったでしょう。おかげで全シーズンモデルリリースされることができました。
あまりにも小林可夢偉の印象が強すぎて、地味ですね。私はそこそこモデルカーの知識があるほうだと思うのですが、店頭で見つけて「ああ、そういえばこれあったな」と気づかされ買いました。

この代役デビュー後の5戦も基本的に小林可夢偉が上にいたので、あまりに記憶に残らないハイドフェルドの2010年。ネットでは「ステルスニック」とか「地味」とか揶揄されますがBMWザウバーを熱心に見ていた私は彼をかなり強く覚えているはずなんです。
そんな私でも彼のことなんか気にせず小林可夢偉一辺倒だった当時、時代は完全に世代交代していたんだと思います。認めたくないけど、この時の君はもう地味だったよ……。
ハイドフェルド最後のF1参戦マシン。新人のライコネンを破ったのにマクラーレンに移籍できなかった時からずっとこんなめぐり合わせでしたね。でも、よく抗ったと思います。















































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