幻となった100戦目
【ミニチャンプス ティレル006 J.スチュワート 1973】
前年を制したロータスはフィッティパルディのチームメイトにピーターソンが加入。2人が争ったロータスに対してティレルはスチュワートのNo.1体制を構築し、3つ巴の争いとなります。
全15戦のうち前半7戦と後半6戦の有効ポイント制で争われた1973年シーズン。開幕2戦を前年覇者フィッティパルディが連勝して勢いをつけますがその後チーム内の不和によって失速。後半は変わってピーターソンが4勝を挙げてタイトル争いに名乗りを上げます。
一方のティレルは4年目を迎えたスチュワート・セベールの師弟関係が抜群に機能し、3度のワンツーフィニッシュを決めるなどシーズンを通してスチュワートへのポイント集中に成功。セベールの献身的な働きによってポイントを積み上げたスチュワートは最終戦を前にタイトルを決め、チームをセベールに譲って引退する決断をしてキャリアの最終戦に臨みました。
巨大なインダクションポッドが目を引く006。この年から側面への衝撃吸収構造が義務化されたことで、ロータス72のようなサイドポッドを持つ形状となりました。1972年末に登場して1974年途中まで2年近く活躍したマシンで、ティレルにとって最後のドライバーズタイトルをもたらしたマシンとなります。
引退とセベールへの引継ぎを決断して迎えた最終戦は節目のキャリア100戦目となる予定でしたが、予選中にその愛弟子セベールがクラッシュにより事故死。スチュワートは出走を取り下げ、望みの叶わぬまま静かにレースを去ります。現役中から引退後まで一貫してF1の安全性向上に尽力した人物ですが、もっとも愛したドライバーを事故で失ってしまったのは何とも悲しいことです。
スチュワートは引退後も公の場でF1に対する意見を述べてレースとの関係を保ってきましたが、1997年には現役時代に懇意の中だったフォードの支援を受けてスチュワートグランプリを設立してオーナーの立場でF1に参戦。チームは売却されますがジャガーを経て、今日のレッドブルに引き継がれています。
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