ロータス 78 R.ピーターソン

ロータス1978

最後の輝き

【スパーク ロータス78 R.ピーターソン 南アフリカGP 1978】

1973年にロータス入りし、以後チームを率いたピーターソン。老朽化するマシンに苦しみ低迷の末、古巣マーチやティレルに移籍しますが、この1978年に再び招へいされました。

加入初年度に王者フィッティパルディを上回り、一躍トップチームのエースとなったピーターソン。しかしその後老朽化した「72」シリーズでの戦いは苦戦が続き、チームを離れます。

古巣マーチで殊勝な1勝を挙げ、ティレルでは6輪車を操ったのち1978年に3年ぶりにロータスに復帰。当時は前年チームの復調を支えたアンドレッティがエースとなり、ピーターソンはセカンド待遇での復帰となりました。

シーズン序盤第3戦の南アフリカGPでこのロータス「78」最後の勝利を挙げたピーターソンですが、その後は後継「79」のアンドレッティ優先投入やチームオーダーで勝利を増やせません。

それでも2勝目をもぎ取り2位を連発することでタイトル争いで意地を見せますが、終盤第14戦のイタリアGPでスタート直後に大クラッシュ。両足骨折の重傷を負いますが、直後は意識があったとされます。

シーズン絶望でも今後のキャリアの可能性は大いに残っていた彼ですが、その晩に医療ミスとも言われる事故の合併症で急逝。わずか34歳でこの世を去りました。

「72」の老朽化と後続「77」の不発に苦しんだロータスですが、1977年に投入されたこの「78」は再びチームを優勝争いに押し上げました。この後継「79」はブラックビューティーと評される、歴史上最も美しいチャンピオンマシンと高く評価されています。

ピーターソンにも「79」が遅れて与えられたものの、自身最終戦となったイタリアGPでは決勝前にクラッシュしてこの「78」に乗り換えてスタート。これがキャリア最後の一台となりました。

チーム内での立場を理解しセカンドに応じつつも、ランキング2位を確保したピーターソン。死後の2レースでは誰も彼の得点を上回ることなく、ロータスはドライバーを失いながらもランキング1-2とコンストラクターズの完全制覇を果たしました。

ピーターソンは翌年からマクラーレン移籍の契約を結んでいたとされ、チームの後の躍進を思えば彼が歴史の主役になる可能性も大いにあったのですが、不運な事故と医療体制によってこの世を去ります。

母国で絶大な人気だった彼の事故死をきっかけに、6年続いたスウェーデンGPは以後開催中止を決定。今日まで復活の噂もありません。奥様も後を追ったとされるなど、資料の多く残る近代の死亡事故は伝わる関連情報も悲しいですね……。

チームメイト同士の戦いが一方の死亡事故で決着がつくのは1964年以来2度目のこと。どれだけ激しく、憎しみ合うようにバトルしても、両者健在に終わればまだましな方なんですよねぇ……。