暗黒期の奮闘

【アシェット フェラーリ156-85 M.アルボレート 1985】
1979年のシェクターから2000年のシューマッハ戴冠まで続いた長い暗黒期の中で、数少ないタイトル争いを繰り広げたのがこの1985年。王座間違いなしの状況から、政治的理由で失速します。

開幕からの10戦でリタイア以外すべて表彰台という抜群の安定感を見せ、マクラーレンのプロストと真っ向勝負していた1985年のアルボレート。イタリア人の跳馬での戴冠の期待が高まりました。
残り5戦で数ポイント差の2位につけ王座の可能性は十分にあったのですが、チームが政治的な理由で急遽ターボ部品を変更。ここから悪夢の4連続リタイアとなり、あえなく敗戦してしまいます。

1981年にティレルからデビューし、84年から5年間跳馬に在籍したアルボレート。しかしその間チームの成績不振は解決されず、彼自身のベストリザルトもこの1985年の2位となっています。
跳馬離脱後はティレルを経てラルース、フットワークなど中堅・弱小チームを転々とし、最後は94年に同郷ミナルディから出走してF1キャリアに終止符を打ちました。

まだエンツォ代表が存命だったこの時代、ターボパーツ供給会社からの待遇を巡ってタイトル争い天王山にオーナーの一存で部品変更という、ドライバーにとってはたまらないこのエピソード。
こういうものも含めて「フェラーリで走る」ことなんでしょうから、やっぱり特別ですねぇ……。

1990年のプロストと並び、暗黒期に終止符を打つ絶好のチャンスだったこの1985年。アルボレートはイタリア人としてティフォシの期待も高かったでしょうに、あまりに不可抗力の敗戦すぎてファンも行き場のないもどかしさを感じたことでしょう。
アルボレートは後の2001年にテスト中の事故で他界しますが、死後20年経った2021年にはモンツァの名物コーナー「パラボリカ」が「アルボレート」へと改称されました。
敗れてはしまいましたが、こうした待遇がこの時代の彼への評価を物語りますね。
規制による失速、特にフェラーリ優遇のライバル規制は近年山ほどありましたが、その跳馬は「自主的に規制」してしまうんだからどうしようもなく……。











































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