数奇なキャリアの始まり

【ミニチャンプス ウイリアムズFW32 N.ヒュルケンベルグ 2010】
表彰台未経験の最多出走記録を更新し続けたヒュルケンベルグのデビューマシン。ここから順当にF1での成績を積み上げていくのかと思いきや、様々な要因に悩まされるキャリアが始まります。

GP2を支配的な成績で卒業し、ベッテルと並ぶ皇帝シューマッハの後継者とまで噂されて鳴り物入りだったヒュルケンベルグ。しかしデビュー前半戦はマシンの競争力不足もあり、ポイント獲得ができない時間が続きます。
大ベテランのチームメイト・バリチェロをもって辛うじて数回の入賞という状況は、ルーキーのデビューには過酷だったでしょうね。

マシンの調子が良くなってきた後半戦はバリチェロとともに頻繁にポイントを稼ぎ、さらには雨に左右されたブラジルGP予選ではPPを獲得します。
ルーキーとしては十分な1年目だったと思うのですが、財政的に苦しいウイリアムズはこの結果を受けてもなおマルドナードのお財布を採用することを決定、大物ルーキーはたいしたダメ出しもないまま、わずか1年でシートを喪失してしまいます。

トヨタのF1撤退の煽りを受けたウイリアムズは搭載エンジンが見つからず、2010年はこの年の新規参入3チームに加えて既存チームとしては唯一コスワースエンジンを搭載していました。これも競争力低下の大きな要因でしたよね。
こうした状況も含めて、ヒュルケンベルグからすれば全く「持ってない」デビュー環境となってしまいました。

シートを失ったヒュルケンベルグはフォースインディアに身を寄せ、テストドライバーからのF1復帰を目指していきます。なおその後の数奇な流浪のキャリアを表すかのように、このモデルは彼のデビューマシンながらF1シートを再び失った年にリリースされました。
このモデルの複雑な背景を語ると、2010年ミニチャンプスはこのモデルの予約完了後に突如販売中止を決定したため、長年「FW32」ミニカーはリリースされていませんでした。後年スパークによる救済モデル化を経て、引退の餞別にとミニチャンプスからようやくモデル化されたわけですね。
そんなミニチャンプスと同郷ドイツ人のF1大物ルーキーなのにモデル化をキャンセルされるって本当にあり得ないと思うのですが、そういう星の下に生まれた人としか思えませんね……。
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