4度目のタイトル
【ミニチャンプス ウイリアムズFW15C A.プロスト 1993】
91年にフェラーリと喧嘩別れしてから1年の休養をしていたプロストがF1に再び復帰。前年をシーズンを支配したウイリアムズのシートを獲得し、勢い変わらず7勝を挙げてタイトルを獲得。これを手土産に引退となりました。
全16戦で争われた1993年シーズン。各チームがアクティブサスペンションの模倣に取り組みますが本家にはかなわず、ウイリアムズは年間10勝を達成。プロストは13回ものPPを記録したほか、テストドライバーから昇格したヒルも3連勝を挙げるなどウイリアムズ一強の時代は続き、2位マクラーレンに倍差をつけてのダブルタイトル獲得となりました。
ホンダエンジンを失いフォードのカスタマーで戦ったセナが望外の5勝を挙げたことでドライバーズ1-2とはなりませんでしたが、大勢には影響しませんでした。ウイリアムズはこの年限りでアクティブサスが禁止されたことで翌年は一時的に苦戦しますが、時はシューマッハ擁したベネトンが2年連続で優勝を挙げるなど虎視眈々と準備を進めており、この年を最後にセナ・プロ時代は終わりを迎えます。
92年に投入予定であったマシンが前年の活躍を受けて後ろ倒しされたことで、この年ようやく登場することになったFW15C。シーズン全戦でポイントを獲得する熟成ぶりを見せ、速さと信頼性でこの時代の頂点に君臨したマシンと言えます。
一方でモデル化にはなぜか恵まれず、ミニチャンプスからはFW14Bとのセットが販売されていたのみでFW15C単体での発売はリリース発表から10年近く待たなければならなかったのでした。この時代のマシンながらリリース時期がデアゴスティーニシリーズとそう変わらなかったというのはおかしな話ですよね。
ウイリアムズのごたごたで両ドライバーが離脱したチャンスを見出し、最強マシンのシートを獲得して4度目の戴冠に成功したプロスト。引退発表はタイトル決定前に行われましたが、獲得できる強い自信があったのでしょう。
80年にマクラーレンからデビューして以降、4度のタイトル、51勝、33PPという歴史に残る華々しい記録を樹立しました。しかしF1ではシューマッハやハミルトンなど一部の例外を除いて突出した才能には常にライバルが存在し、これだけの結果を残しながらもセナの存在が彼のF1での支配を許しませんでした。
引退後は母国フランスの英雄としてF1界にも頻繁に関わり、自身の名を冠したチームを立ち上げたほか、現在のルノーF1プロジェクトでもアドバイザーとして運営に関わりを持ち続けています。師として学んだラウダの引退後の成功や、ライバルだったセナの突然の死が彼をF1から離れさせないのかもしれませんね。
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