セナ最後の戴冠
【ミニチャンプス マクラーレンMP4/6 A.セナ 1991】
マクラーレン・ホンダ、そしてセナにとって最後のタイトルとなった1991年シーズン。台頭するウイリアムズや後のF1を率いる新人たちのデビューによって世代交代の波が進む中、辛うじて王座の防衛に成功しました。
全16戦で、これまでの有効ポイント制から全戦ポイント制に変わって争われた1991年シーズン。セナがマクラーレンを駆って開幕4連勝を挙げますがこれまでの支配的な速さはなく、中盤以降はウイリアムズに後れを取り始めます。中盤はマンセルに3連勝を許すなど苦戦があったももの、カナダGPで優勝目前にマンセルがエンジンを止めてしまうトラブルなど相手のミスに助けられ逃げ切ることに成功しました。
追う側から追われる側へと変化したこの年のセナですが、第2戦ブラジルGPでは待望の母国初優勝を達成。終盤は6速ギアにスタックしたマシンをねじ伏せ、表彰台ではトロフィーを持ち上げられないほどに疲弊しながらの感動的な母国初制覇となりました。一方で時代はハイテク開発を極めたウイリアムズの躍進に加え、後のF1の象徴となるシューマッハやハッキネンのデビューなど世代交代の波が顕著な1年でもあります。
ホンダ初のV12エンジンを搭載したMP4/6。テスト時は納得のいくマシンの仕上がりではなかったものの、セナの「僕のタイトル争いの足を引っ張ている」という言葉に奮起したマクラーレン・ホンダ双方の度重なるアップデートによってセナをタイトル争いから脱落させませんでした。時代を支配したマクラーレン・ホンダ最後のタイトル獲得車となります。
3度目のタイトルを獲得したものの、既にウイリアムズの時代になりつつあることを受け入れていたセナ。恩師、本田宗一郎の死去に奮起して戦い王座を防衛して見せましたが、この年限りでチームを離れウイリアムズへ移籍すべきだったと後悔の弁も残ります。
以降のセナはマクラーレンのエンジン事情に翻弄されてタイトル争いに加われず、94年に念願のウイリアムズ移籍を果たした時にはハイテク装置を奪われてチームが弱体化、完走すらできないまま、サンマリノGPでの悲劇によってこの世を去りました。
死してなおF1の象徴としての影響力は衰えず、世代交代が進むF1においても彼を憧れに挙げるドライバーは少なくありません。特に彼の記録した3度のタイトルという数は、それを上回るドライバーが数名いながらも、F1タイトル数の特別な数字として意味を持ち続けています。
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