フェラーリが選んだ新人

【スパーク マルシャMR02 J.ビアンキ 2013】
2009年、当時レッドブルを筆頭に各チームが若手ドライバーの育成プログラムに注力していましたが、名門にしてベテランを雇うことが常だったフェラーリが自前のプログラムを開始したことは話題を呼びました。

2009年に設立されたフェラーリ・ドライバー・アカデミー(FDA)の一期生となったのがこのジュール・ビアンキ。F3参戦中にフェラーリで多大な影響力を持つニコラス・トッドに見いだされマネジメント契約を締結。2009年F3ユーロシリーズでチャンピオンを獲得すると12月のFDA設立と同時にプログラムに名を連ねました。

2010-2011年はGP2に参戦し、共にランキング3位を記録。2012年はフォースインディアのサードドライバーとしてFP1に9回も出走するなど手厚い支援を受けました。残念ながら13年のレギュラーシートは獲得できませんでしたが、資金難に苦しむマルシャの一席を獲得。弱小チームでしたがF1デビューのチャンスを得ます。

この年のマルシャとケータハムはダントツの最下位だったため中継映像に映ることがほぼなく、彼の走りはあまり見られませんでしたね。最も長く映ったのはドイツGPでリタイアした後マシンが停車せず坂を転がり降りたシーンじゃないでしょうか……。
そんな目立たないデビューでしたが第2戦マレーシアGPで13位完走を果たし、これが効いてコンストラクターズではケータハムを上回っています。

前評判の割に目立たない、不遇なデビューとなってしまったビアンキ。しかしその実力はフェラーリから高く評価されていたようで、後年になって数年後にライコネンの後任として昇格することが決定していたことが明らかになっています。実は一度だけ、2014年のシーズン中テストで負傷したライコネンに代わってフェラーリに乗っているんですよね。
当時は「まぁマルシャだしこんなもんか。中団チームに移籍したらよく見ておこう」くらいに思っていたビアンキのデビューイヤー。その時々を見ておくのは大事ですね。
彼の紹介でFDA入りしたのはルクレール。14年の事故もありライコネンは長く登板しましたが、後任はその意思を引き継いだ彼が射止めました。
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