世代交代
【スパーク マトラMS80 J.スチュワート 1969】
前年参戦初年度ながらスチュワートを擁して3勝を挙げたマトラが、この年のチャンピオン争いを席捲します。
全11戦中前半5戦と後半4戦の9戦有効ポイントで争われた1969年シーズンは、前半で5勝を挙げたスチュワートが早々にタイトル争いを終結させます。ロータスとフォードが2勝ずつを挙げますがチャンピオン争いに加わるには至りませんでした。
この年はすべての優勝がDFVエンジン搭載車によって達成されています。フェラーリはわずか3位表彰台1回に留まり、DFVユーザーも優勝者が分散したことで6勝を挙げたスチュワートはダブルスコア近い大差で頭一つ抜けた戴冠となりました。
MS80は前年マシンMS11のマイナーチェンジマシンながら、出走10レースで5勝という高い勝率を誇ります。また、フランスコンストラクターとして初のタイトルを獲得し、英エンストンに拠点を置くルノーと異なりフランス国内で製造された現在まで唯一のチャンピオンマシンとなりました。
好調だったマトラはこの年すでにワークス参戦を辞めており、チームは後のティレルチームの設立者、ケン・ティレルによって運営されていました。翌年からスチュワートは新設ティレルチームのエースとして、70年代前半を二人三脚で席捲していきます。
またスチュワートはF1の安全問題の改善にも尽力し、この年のベルギーGPは会場を視察した彼の危険だという意見によって中止されています。ウイングの進化で高速化するF1の安全面の改善に多大な貢献を果たしました。
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