初めてのタイトル争い
【ミニチャンプス マクラーレンMP4-17D K.ライコネン】
デビュー3年目にして皇帝シューマッハとのタイトル争いを演じた2003年。初優勝を挙げるとコンスタントに表彰台を獲得し、絶対王者フェラーリをあと一歩のところまで追い詰めました。
開幕2戦目のマレーシアGPで初優勝を記録したライコネン。アロンソが最年少ポールを獲得し記録を塗り替えましたが、決勝レースは7番手から順位を上げた彼の独走レースとなりました。続くブラジルGPではフィジケラがトップチェッカーを受けたものの赤旗中止の影響により2位を走行していた彼の優勝が認められ、一時は二連勝となりましたが、再審議の結果2位に繰り下げられるトラブルもありました。
開幕直後こそ首位を争ったものの、中盤以降は復調したフェラーリとウイリアムズ、更にはアロンソらの優勝によって勝利にこそ届きません。しかし安定感を武器にシーズンで10回もの表彰台をマークし、ポイント制度変更で1位と2位の得点数の差が縮まったことが有利に働いて最終戦の鈴鹿まで戴冠の可能性を残してタイトル争いを繰り広げました。
前年マシンの後継機MP4-18は度々テストに登場したものの、抱えた問題を解決できずお蔵入りに。この年は02年マシンの改修型での戦いとなりましたが、信頼性が抜群に向上しトラブルによるリタイアをわずか1回に抑えたことで一躍チャンピオンシップを争うマシンへと昇華されました。
ミニカー事情としては、人気のライコネンの初優勝モデルながら再販に恵まれていないため今でも高い市場価値を誇る一台となっています。
最終戦でタイトルを獲得するためには優勝が絶対条件だったライコネンですが、後方に沈んだシューマッハをチームメイトのバリチェロが見事に救う優勝を挙げたことで戴冠とはなりませんでした。しかし3年目ながら皇帝までわずか2ポイントの差まで迫り、将来のチャンピオンであることは誰の目にも明らかになったシーズンとなります。
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