追放劇

【スパーク ロータス72E E.フィッティパルディ オーストリアGP 1973】
前年当時最年少でタイトルを獲得したフィッティパルディ。1973年は熟成の進んだ「72E」を駆りますが、新進気鋭のチームメイト、ピーターソンの台頭に苦しみ連覇を逃します。

1970年にF1デビューし、72年に当時の史上最年少記録25歳273日で王者となったフィッティパルディ。最速ロータスに残留したこの73年も有力候補として連覇に期待がかかりました。
開幕6戦で3勝含む6度の表彰台、母国ブラジルGPの初制覇も成し遂げ盤石のスタートダッシュを決めますが、後半リタイアが続く中で加入初年度のチームメイト、ピーターソンが勢いづきます。

前半こそ好調だったものの、中盤には3戦連続リタイアを期すなど第4戦で挙げた3勝目以降は勝利から遠のきました。この間ピーターソンが4勝を挙げ勝利数で上回り、王座争いは混沌とします。
シーズン終盤イタリアGPではランキング首位を行くティレルのスチュワートを追うためチームオーダーを乞いますが、これが叶わずに敗戦。ピーターソンに僅差で迫られる選手権2位に終わります。

投入4年目を迎えた名車72シリーズの後継「72E」は依然として高い戦闘力を維持し、両ドライバー合わせて7勝を記録してコンストラクターズタイトルを獲得しました。
改良型は1975年まで6年間も使用され、累計20勝を挙げて2度のドライバーズと3度のコンストラクターズタイトルを獲得した名車なのですが、1970年のリントといい暗い話が多いですよね。

最年少王者としてチームの絶対エースであるはずが、デビュー同期のチームメイトとの内紛に巻き込まれたフィッティパルディ。この年限りで4年在籍したロータスを離れマクラーレンに移籍し、翌1974年に2度目のタイトルを獲得します。
先に王座を掴んだフィッティパルディに苦労人ピーターソンが迫る激しい争いとは対象的に、若手セベールがベテランのスチュワートに師事したことで王座を掴んだティレル、という対比がドラマチックで1973年シーズンはかなりお気に入りです。
最速ロータスにチーム一丸総力戦で挑んでタイトルを奪い返したスチュワート。支えたセベールの最後も含め、チーム戦という意味では1973年は個人的ベストシーズンかも。













































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