ヴァンウォール VW5 S.モス オランダGP

ヴァンウォール1958

初のコンストラクターズチャンピオン

【スパーク ヴァンウォールVW5 S.モス オランダGP 1958】

1954年にデビューした英国チーム、ヴァンウォールが初代コンストラクターズチャンピオンを獲得したのは1958年。エースでイギリス人スタードライバーのスターリング・モスを擁し、時の支配者イタリア勢に勝負を挑みました。

1950年代後半、当時のF1は1954-55年を連覇したメルセデスにより一時のドイツ支配を迎えたものの、ルマンの事故で彼らが撤退すると再びフェラーリ・マセラティら古参イタリア勢が息を吹き返しました。そんな中、「フェラーリの顧客なのに扱いがぞんざいだった」ことに怒ったイギリス人オーナーによってエンツォへの復讐を目指したチーム、ヴァンウォールが設立されます。

既に有力な英国ドライバーが多くいたものの母国に有力なチームがなかったため、長らくイギリス人チャンピオンが生まれていなかったこの当時。チームは初年度から彼らの受け皿としてイギリス人を多く登用し、参戦4年目の1957年にはイギリス人トリオによって英国車初優勝を含む3勝をマークします。そして翌1958年、ついに打倒フェラーリを目指してチャンピオン争いを展開するのですが、あと一歩のところで敗れてしまいました。

航空機エンジン部品メーカーのオーナーによって設立されたヴァンウォールでしたが、レーシングカーのノウハウは無かったようでマシン開発を当時F2で戦っていたイギリス人、コリン・チャンプマン率いるロータスに委託します。彼らによってヴァンウォールが競争力を得ただけでなく、その評判によってロータスをF1参戦まで導いた英国F1文化が花開くきっかけとなったのでした。

モスの無冠の帝王を象徴する悲劇的な負け方によってこの年のドライバーズタイトルを逃してしまったヴァンウォール。しかし設立初年度のコンストラクターズタイトルを獲得し、歴史にその名を残しました。チームはエンツォへの復讐という目的を果たしたうえ、オーナーの健康問題やドライバーの事故死などを理由にこの年で実質解散、イギリス勢の勢いはロータス・クーパー・BRMらによって引き継がれていきます。

ちなみに、2023年にはWECに参戦するオーストリアのバイコレスがネーミングライツを取得したことでヴァンウォールの名がレース界に復活しましたが、今日まで続くイギリスF1文化の始祖的存在なのでせめて英国籍チームとして参戦してほしかったですねぇ……。

1958年を制したのは皮肉にもフェラーリに所属したイギリス人のホーソンでした。レース数10戦未満のこの当時でわずか1点差という、1950年代で一番僅差の争いでした。

あまりにもめぐり合わせの悪いスターリング・モスのF1キャリア。負けても挑み続け、それでいて結果を残すという姿はアロンソを想起させますね。

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