ウイリアムズ FW14 N.マンセル

ウイリアムズ1991

王座への序章

【ミニチャンプス ウイリアムズFW14 N.マンセル 1991】

ニューウェイのウイリアムズ移籍により製作された「FW14」の投入でチームは低迷期を脱却し、速さを取り戻します。しかし序盤戦の出遅れがまたもマンセルを悲願のタイトルから遠ざけました。

1987年限りでホンダエンジンを失い、ルノーエンジンへと切り替えたウイリアムズ。過去2年は苦戦したものの、タッグ3年目はマンセルが中盤3連勝を含む高い戦闘力を示しました。

この3連勝以外にも2勝を挙げ計5勝、更に2位も4回記録し盤石のスコアだったのですが、開幕の3連続リタイアがタイトル争いに大きく響くことになりました。

開幕4連勝で独走するセナを追いたいマンセルでしたが、この間ほぼ無得点だったことに加え、中盤カナダGPでは優勝直前にステアリング操作を誤って失速するなどミスによる取りこぼしも目立ちました。

追う側がこれでは追いつけるわけもなく、ランキング2位につけたもののセナには24点もの大差をつけられての敗戦となっています。

レイトンハウスから移籍してきた天才ニューウェイがウイリアムズで手掛けた初のマシン「FW14」は、素性の良さに加えてセミオートマチックギアボックスが本格導入されます。

この年から徐々に電子制御技術が取り入れられ、翌年アクティブサスペンションを搭載した最強「FW14B」への布石となる重要なマイルストーンとなりました。

ウイリアムズの低迷にしびれを切らしフェラーリ入りしたもののセナ・プロストの主役を食うには至らず、出戻りとなったウイリアムズでまたもそのセナに敗れてしまったマンセル。

しかしマンセルが敗れ続けた期間もウイリアムズは粛々とマシンの電子制御を進めていたので、諦めずに挑み続けたモチベーションにはそうした先進性への期待があったからなのでしょうかね。

そのアクティブサスでシーズンを支配したのはこの翌1992年。ただ当初出始めのこのデバイスはピケの方が積極的にテストしていたという記述を見たのですが、どこかでマンセルも性能に気づいたのでしょうか。